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1971年5月、安利淑さんは酒枝義旗先生の家をたずねた。韓国で出版された
自著の獄中記「死なねばならぬなら死にます」の出版の相談だ。
ご自分で日本語に翻訳して持ち込まれた原稿は400字詰で1529枚。感激家の
酒枝先生は「出しましょう」と決意。それを知ったわたしは協力を申し出た。
先生が大胆に訂正されたのを、わたしがさらに赤を入れ、1972年春刊行の運
びに。しかし出版流通の大手は群小出版と取引きしない。つまり書店に並ば
ない。ところがこの本は、1972年5月22日の「朝日新聞・読書欄」のトップを
飾った。その書評を読んだ読者から全国の本屋に注文が殺到。本屋は取次ぎ
に注文。毎日待晨堂に注文が下り、市川さんはそれを取次ぎに届け、本屋か
ら注文主へ逆流。しかし書店の棚には並ばない。
A5判・25字詰×21行×2段組・612頁の大冊を、安さんが「出来るだけ安く」
と言われたとかで先生は定価を1200円に設定。これでは取次ぎには8掛けの
960円となる。原価すれすれだ。原価の倍が定価の常識だと先生に申しても
だめ。酒枝流経済学。かくて「たといそうでなくても」は、2万部も売れな
がら利益が残らぬ珍しい出版と話題になった。
しかし「たといそうであっても」この本の内容は日本人に強く信仰の姿勢を
問いかけた。わたしがたずねた北海道の教会にも、沖縄の離島の教会の本棚
にもこれは並んでいた。
http://d.hatena.ne.jp/shirasagikara/20060520
「たといそうでなくても、王よ、わたしたちはあなたの神々に仕えず」(ダニエル3・18)
この本の中に、日本に原子爆弾が落ちたのは、日本が韓国の罪の無いクリスチャン
を迫害し虐殺したからではないかと書かれています。天皇を神として崇める事を拒
否する者は日本国内でも激しい迫害と拷問を受けましたが、それは隣国の半島でよ
り苛烈で、偶像を拝まないクリスチャンは一層憎悪の対象となりました。日本がア
メリカの爆弾で国土を焼かれ、多くの人命を失ったのもそうした日本国同胞の犯し
た犯罪行為の血の報復であったということを厳粛に受け入れる勇気が必要です。そ
の意味では日本は血の代償を既に支払ったともいえるでしょう。原爆による悲惨な
大量殺戮もそのためだったという訳です。しかし、その文脈で決して忘れてはなら
ないのは、広島のSDAの信徒は一人も原爆によって死ななかったということです。
一箇所にかたまっていて命拾いしたというのではなく、それぞれ自宅とか留置場と
かバラバラな場所に散らばっていながら、当時のSDA広島教会員は原爆投下で生
き残ったという事実はもっと大きな声で証されなければなりません(白石先生はそ
ういう証をする信徒をつかまえて無理やり制止させた前科があります)。この教会
が最後の時代に特別に選ばれた残りの民の教会であることの深い意味と使命を受け
入れた人はまわりの日本人が韓国人や同胞の聖書信者に流させた血の報復を刈り取
って爆弾の雨のしたに焼かれて滅んでいっても助け出されたのです。これは神の業
です。そういう意味でもSDAは特別なのです。ちなみに長崎の原爆投下ではそう
いう奇跡は起こりませんでした。それはなぜだかわかりますか、みなさん。長崎に
は当時はSDAの信者は一人もいなかったのです。ただそれだけの単純な理由です!
これはある人たちにすれば身の毛もよだつような話かもしれません。しかし甘えて
はいけません。これが現実です。信仰の戦いを避けてばかりで温室栽培で育った人
はそれをなかなか理解しようとしません。信仰の戦いとは身の毛がよだつものです。
信仰の戦いは厳しいのです。背教者や偶像崇拝者は親、兄弟、恋人、子弟であろう
と容赦なく切り捨てられます。愛と人の心の重みがわかっている我々はだからこそ
私達は親兄弟、日本や韓国の偶像礼拝社会と対決してでも福音を伝えます。それに
反対する教会の偽兄弟は断固粛清されなければなりません。私達自身も今こそ教団
の悪を清め、悔い改めなければ、再び必ず日本に硫黄の雨を招く事になるでしょう。
神を恐れ、神に栄光を帰せよ!
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