|
|
SDA関係者と名乗る人の発言は、我々バプテスト教会信徒から見てもおかしいですね。
>その無念と苦しみは余りに憐れである故に、残された人はキリストが用意してくれた
>天国で失われた人との再会に希望を持ち、その信仰によって支えられる事が
>『キリストの愛の教え』じゃないのか?
神は愛のお方であるが、人が救われるのは、無念な気持ちの代償ではない。救われて天
で再会できるためにはキリストの十字架の贖罪がなければいけない。無念を慰めるために
救いがあるのではない。そんな聖書の教えはないのです。
愛する人と再会したいという切なる願いは理解できても、それがキリストを信じる支え
になると言えば本末転倒です。いくら愛する人であっても、その人が許されない罪を
犯していてキリストと十字架の血による和解をしていなければ再び会える保障はないと
考えるべきです。SDA嵯峨野教会牧師に同意します。福音はそんな自分勝手に甘い解釈は
許されないでしょう。
|
|