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嵯峨野教会は安息日に始まり安息日に終わる

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2009年 5月22日(金)09時53分23秒
  通報 編集済
  さて、嵯峨野教会のアクセスカウントは怒涛の勢いで30万件に達しようとしていま
す。沖縄の福井先生によりますと、嵯峨野教会は他のプロテスタント教会の人たち
にも読まれているのだそうです。嵯峨野教会はSDAを代表してそのような他教会の
読者の皆さんをさりげなく歓迎いたします。この嵯峨野教会HPを隅々までお読みく
ださりSDAがどんな教会であるかを理解していただきたいと思います。嵯峨野教会
はふがいない日本のSDA教団の代替を目指しています。

人も集まってきましたので、嵯峨野教会牧師である私の自己紹介を改めてさせてい
ただきます。私は旭川教会で導かれ北海道で1975年に洗礼を受けたセブンスデーア
ドベンチストです。中学生のときにダニエル書黙示録の聖書研究で初めて導かれ、
それ以来洗礼を受けるまで聖書を学び、洗礼を受ける前の公立高校に在校中から第
七日安息日を守り始めました。国立大学医学部に入っても第七日安息日を守り続け
たため、大学にいられなくなり、3年目で中退しました。安息日を守ることに対し
て最も妨害をしたのは、私の親や大学当局ではなく、今思えばリベラルな牧師と教
団指導者であったことは非常に残念なことであったと思います。私は当時東北教区
の青年会長を勤めましたから、当時の教会で私のことを知らない人はいないのです。
同じ安息日を守って戦っている青年たちを励ましたい一心で私も教会内外の抵抗の
中で安息日を守り続けて、ついに矢尽き刀折れて医学部を中退しました。そんな私
を教会の牧師が快く思わなかったのは第七日安息日遵守をソフト化しようとしてい
た教団指導者にとって邪魔者だったからです。岡藤先生や横溝先生は私に「どうし
て医学部をやめるんだ、そんな暴虎馮河のばかなことをするな」と罵倒しました。
それに対し、柴田栄治先生はお亡くなりになる前に私に「どうかこんな教団をお手
柔らかにお願いします」と言い残した言葉を今でも覚えています。神は私を穏やか
に日本から導いてアメリカにつれてこられ、現在の指導的地位に立たせてください
ました。それは神のお恵みであったと思います。そこで私は医学だけをして一生を
終えるのではなく、自分を導いた日本の信仰の建て直しのために働くようにも召さ
れました。その目的で嵯峨野教会というインターネットの武器を手に入れました。
その為に証の文の原則と聖書の戒めから離れた教団とぶつかることもあるかもしれ
ませんが、恨みを晴らしているのではなく、神の導きの運命の連続的成就という視
点の使命を淡々と遂行してゆきたいと心を決めたのです。そこにはまた、日本を離
れるときに、「必ずスケールの大きい人物になって戻ってきてください」という手
紙をくれたある姉妹の約束をも果たしているのです。もうこの人は80歳を過ぎた人
になっていると思います。それが私の自己紹介です。ちなみに、私が在学した医学
部は私が去ってから、日本の国立大学で最初に土日を休みにした医学部となりまし
た。しかも、それでいてなおかつ日本の国立大学医学部の中で医師国家試験合格率
トップの医学部になったのです。それはその大学の学生部長の教授が後日直接教え
て下さったことです。彼は、「結局長谷川君の言うようにしたほうがよかった」と
いいました。安息日の祝福は私と私が中退した医学部に分け与えられ、リベラルな教
会には与えられなかったのでした。私はその祝福を今教会にお返ししたいと思いま
す。SDA教会の信仰を堕落前の状態に戻すことによってお返ししたいと思います。
 
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