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ギリシア語の原文を読む知識はありませんから、それは他の人にお任せするとして、
それ以前の日本語になっている時点で既に新共同訳は言語的に破綻している聖書で
あることを検証してみましょう。
口語訳ヨハネ14章1〜4
1)「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2)わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
3)そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
4)わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
新共同訳ヨハネ14:1-4
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
新共同訳の第一節では、心を騒がせるなという命令が先立っています。弟子たちの
心が騒いでいたから、騒ぐな、と言ったかのように読めます。これは口語訳でも同
じです。弟子たちが騒然としていたのがわかります。そこで、口語訳の2節の「わた
しはそう言っておいたであろう」の「そう」とは何ですか。それは新共同訳聖書に
よると「そう言った」というのは「あなたがたのために場所を用意しに行く」と言
ったということになるようです。それが口語訳では普通肯定文であり、新共同訳で
は否定の意味を含んだ疑問文になっています。つまり新共同訳によると、キリスト
は「あなたがたのために場所を用意しに行く」と言うはずがないという意味に訳し
ているのです。にもかかわらず新共同訳では3節で場所を用意したら戻ってくると、
口語訳と同じ意味の訳に戻っているのです。一体この宙返り反転180度のツイスト
は何を意味しているのでしょう。よく読み直して下さい。新共同訳のこの変な訳の
2節のおかげで、第一節以前のイエスと弟子たちの会話の流れと、3節以後の流れと
の間が分断されているのです。もう一度第二節で、イエスが誰に対して何を「言っ
ておいたであろう」と言われたのか、考えてください。主語はイエスで、弟子たち
が目的語です。言った内容は、天に住まいを用意しに行く、と言ったのです。問題
になるのは、なぜ新共同訳の第二節には「か」がついているのかということです。
この「か」が全体の意味をひっくり返す疑問形になっています。新共同訳の訳出者、
また支持者は、神の約束のみ言葉に狡猾にも余分な「か」をつけて意味をひっくり
返してしまったことの釈明をしなければなりません。さもなければ、この一点だけ
でもこの聖書を廃棄する理由になると思われます。各自熟慮と勇気あるご決断をお
願いします。
http://bible.monochro.com/
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