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福音派からの批判に答える

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2009年 6月27日(土)20時36分57秒
  通報 編集済
  SDA批判 by タク・ミョウンファン
SDAは救いを大きな救いと永遠の救いを区別している。大きな救いとは信仰で得た
救いやcancelできる不完全な救いで、永遠の救いとは律法を守ることで得られる救い
であり、人間の欠点や隙があっては得られない救いとして完全な救いという。SDAは
二つの救いがあるように救いを二元化させ、それを立証するため聖句を列挙している。
”*1 “しかし問題は大きな救いを得た後と永遠の救いを得る前の宙ぶらりんの間が
問題だ。なぜならSDAが主張できる贖罪理論は二つしかないからだ(痛烈な皮肉のつもり)。”


批判への回答
タクミョウンファン氏が言うような大きな救いと永遠な救いというのは我々の教会
の中でも聞いたことのない話だ。内容も疎いし表現も疎くて、どこの誰の思いつき
でそういう話が出来たのか非常に関心がある。しかし大切なこととして覚えられる
べきことは、救いに至る信仰の三過程であり同時に局面でもある義認、聖化、栄化
の概念は聖書に基礎を置いているのであり、人の思い付きではない。このような事
実は旧約の聖所制度にあらわれただけでなく、イスラエルの民の経験にも明白にあ
らわれた。

救いの三過程の局面とはなにか。

キリストを象徴する「過ぎ越しの祭り」Passoverの羊を屠って、その犠牲の血を塗
った鴨居の下をくぐって出エジプトしたことにより、イスラエルの民は奴隷の身分
を脱ぎ捨てて自由になる解放、すなわち救いを受けた(出エジプト12:3〜13)。
それが聖所の庭で味わった義認の経験だ。しかし救いの過程はそのような一回の解
放で締めくくられたのではない。実はそこから荒野の生活が始まったのだ。荒野生
活の意義と目的は何か?“エジプトの地、奴隷の家から導き出した”(出エジプト
20:2)後に神は荒野生活の始まりにおいて十戒を与えられた。それはエジプト
で形成された罪の属性と習慣から彼らを解放させようとする救いの二番目の過程だ
った。

十戒は救いを受けるため与えた方便でなく、すでに救いを受けた人が罪の属性と勢
力から内的自由を享受する必要に気づかせるため(ローマ3:20)“完全な自由
の律法”(ヤコブ1:25,2:12)を与えたのだ。それは聖化の要求で、その
必要は聖所の初めの間に備えられたパンと油と香が象徴する霊的な供給を通して満
たされた。これが十戒で得た救いである義認を有効にする実になる聖化の過程だ。

このように「過ぎ越しの祭り」の羊として死に至ったキリストを信じる信仰の義認
を経験し、聖霊による使役を通して律法にあらわれた「神聖」holinessを経験した
「聖化」した人たちがすなわち、“神の戒めを守り、イエスを信じる”“聖徒”
(黙示録14:12)なのだ。このような過程と経験を享受した人たちがついにイ
エスを表象するヨシュア「イエス」に導かれて十戒が入ってる「契約の箱」the
Ark of the Covenantを前に立てヨルダン川を渡り、約束の栄光の地に入る過程、
それがすなわち二番目の至聖所の経験なる「栄化」なのだ。

たとえ出エジプトで救いは受けていても約束の地にたどり着けなかった人たちがあ
るか? おおありだ。彼らは誰か?“四十年間、神が憤られたのは誰に対してであっ
たか。罪を犯して、その屍を荒野にさらした者たちに対してではなかったか。また、
神が、わたしの安息に入らせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってで
あったか。不従順な者に向かってではなかったか”(へブル3:17,18)。

タク・ミョウンファン氏が批判している“大きな救いを得た後から永遠な救いを得る
前まで問題”*3 というのはSDAの問題ではなく、寧ろこういった事実に気づかず
“一度救いを受けたらずっと救われ続けている”(Once saved, always saved)と
勘違いして、始終神様の恩恵と能力に頼る代わりに自己満足に陥った怠惰なクリス
チャンたちの問題ではないだろうか。
 
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