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心にかかり続けていること

 投稿者:弱き者  投稿日:2009年10月19日(月)13時03分10秒
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  私は1999年に学院でバプテスマを受けました。

10年の月日が流れましたが、その間、心にかかり続けていることがあります。

私はSDAのなんたるかを全く教えられないまま洗礼を受けたという事です。

ただ金曜日の日没から始まる安息日への時が嬉しくてたまらない。神学書を読んだり、信仰の話をする事が好きでたまらない。

ただそれだけの気持ちでバプテスマを受けました。

それらの思いの何処にもSDAとしての使命だとか、SDAのなんたるかという事はありません。

私は今でも悩んでいます。

本当に洗礼を受けて良かったのか。SDAの事を何も知らないままに洗礼を受けても良かったのかと。

私は今でも自分はSDAになれていないのではないかと思います。そして、神様に受け入れられていないのではないかと。

常にこの様な苦しみが私の心にかかり続けています。

洗礼を受けた事実は変わりません。ただ、SDAになれるのかという苦しみは続いています。

裁きの座で「お前は悪い僕であった」といわれるような気持ちから解放される事は未だにありません…。
 
    (牧師) 弱き者さん。嵯峨野教会はあなたのように「これでいいのか」と真摯に悩みながら教会の牧師たちからもすらSDAのことを教えてもらえない教会員の味方です。是非嵯峨野教会がこれからも提供する聖書の情報をお読み下さりSDAに召された聖書の深みと喜びを経験してください。その一方で私は弱き者さんのような教会に導かれた魂に何も霊の糧を与えず、自分の立場を守ることだけに汲々として来たすべての牧者の敵となることを躊躇しません。神につくか、不義理の組織につくか、弱き者さん以外の方も今こそご決断下さい。

新約聖書の次の聖句を朗読してください。ヘブル人への手紙6章1〜12節。
 
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