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最近、駅の入り口に立って無言で、
「無料で聖書の勉強をしませんか」というパネルを掲げたり、
冊子を持って立っている人々を見かけます。
キリスト教の何処かの団体なのであろうと思います。
私自身は、学院にて主に出会いSDAに属する者になりました。
それは、長年求め続けていたものがこれであるという、
確信があったから受け入れたのでした。
しかし、もし、魂が求め続けるものが何なのか分からず、
彷徨っている中で、他のキリスト教系の団体や、
もしくは、新興宗教系の団体と出会っていたならば、
私は、それらに属していたのだろうかと考えさせられます。
おぼろげに自分を超えた存在を探し続ける自分がいて、
それまでも、自分の周囲には、他のキリスト教系の団体があり、
新興宗教系の団体もありました。
にも関わらず、何故、学院で初めての礼拝に参加した時に、
突然に目が開けて「自分が求めていたものはこれだ」と気付き、
受け入れるに至ったのか。
そこに私は、神の摂理があるに違いないのだと思います。
更に言うならば、第七日安息日を守る
クリスチャンの団体に導かれた事に、何か意味があるはずなのだと。
高慢にかもしれませんが、
今、この場所に導かれた事に対し責任のようなものを感じるのです。
主の召しに応える責任と言えば良いでしょうか。
他の何物でもないSDAに導かれた不思議に心を満たされています。
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