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「信仰による義」に何が足りないのか

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月18日(火)19時52分35秒
  現在、SDA教会の中で語られる信仰による義の教理に足りないものがあります
といえば驚かれますか。本郷ヤコブ牧師も完全に見落としているポイントです。
それに気が付かずに、本郷先生の信仰による義の記事は最高だとおべんちゃらを
言っていたのが死んだ曾根田ケンジです。結局残された教会員は何が正しいのか、
何が最高なのか全くフォローされずにてんでんばらばらのことを言い合っていま
す。1888年のメッセージに帰れと言っても、1888年のメッセージがそもそも何だ
ったのかすら知らないでいるのです。

では同意できる完全な理解を妨げているものはなんであると思いますか。信仰に
よる義の本質はなんだと思いますか。
 
    (嵯峨野教会牧師) 「信仰による義とは我々が罪深くて義でもないのに、義とみなしてくださることだ」と教えられていませんか。そんな生ぬるい理解ではいけませんよ。それではあと一歩が足りません。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年12月18日(火)12時30分33秒
  どう思われても仕方ありませんが、
異教の神だか悪霊だかによって
イエズス会あたりに
秘密裏に携挙されればいいという意味ですよ。

◯原のいうポアみたいな意味合いです。

沈みゆく教団から金目もモノ掻っ攫って
安住の地に行ったらよろしい。

そんな場所があるとは思えないけど。
レフトビハインドっていうより
、服だけ残して蒸発するのがオチだろ?って皮肉です。お許しを。
 
    (嵯峨野教会牧師) 今それをやっているのが教団組織の既得権者たちですね。沈みゆくSDA教団組織の資産を少しでも自分のものにして利用して、理事のポジションを作ったり、意味のない法人を作ったり、ヒトの資産を乗っ取ったり、めとったり嫁いだり、教会員の持ち物にたかり、地方の教会を売り払って換金して掻っ攫っていますね。とても同じ日本人、同じ信仰の兄弟姉妹のすることとは思えません。神の祝福を得られなかった人たちの末路はこのように悲惨です。もちろん彼らが安住の地に行けるとは思えませんね。彼らはすでに悪霊の餌食です。服も下着も残さずいなくなるべきです。裁きが神の家から始まった。  

同じアメブロでも

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月17日(月)20時08分56秒
  こんな正鵠を得た記事を書いている人もおられる。
https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12425239206.html?fbclid=IwAR1roou-IpzwBthE1ruaKlqunRuBRQ2igNtLRgifJsgJuawWey8zW1AQqLo
 

(無題)

 投稿者:ナナシ  投稿日:2018年12月17日(月)19時57分20秒
  嵯峨野教会牧師様

いえ。サンライズの動画の信仰による義認。で重博先生の聖書研究、50分くらいの、去年の、私が理解した要約です。直接伺ったではありません。
 
    (嵯峨野教会牧師) わかりました。  

第三天使の使命=信仰義認

 投稿者:ナナシ  投稿日:2018年12月17日(月)18時26分33秒
  嵯峨野教会牧師様

神の律法に完全服従。
神に従っていれば。必ずできる。
救い主イエスに繋がっていれば、
必ずできる。

そうせざるを得ない、衝動が沸き起こる。
聖霊によって。

キーワードは
ごめんなさい。ありがとうございました。

あなたが許されたように、あなたも許しなさい。

それを祈り求め続けなさい。

ざっくり欠陥のない信仰義認はこんなでよろしいでしょうか?金城先生の受け売りですけれど。

そうだとして、SDA教会員の他罰的、頑なさが目立つのはなぜでしょうか?
 
    (嵯峨野教会牧師) 信仰による義をそのように教えられたのですか?  

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年12月17日(月)16時03分17秒
  『君はまだ、SDAが何かすら分かっていないじゃないか』

人の振る舞い、表情、食べ物、言動のバックボーンにSDAの教理がどう関わっているかという逆読みの聖書理解は間違っていますでしょうか?




感化されないというか、されたくない。おぞましいとすら思ってしまいます。
だいたい
バプテスマって悔い改めですよね?
何がどう改まったんだろ。このヒトって、なる。

聖書理解で頭いっぱいいっぱいで、(もともとお勉強できるバカが多いから、そういうの得意だしそれにしか精進していない)
生き様に何が反映されているのかが分からない。

ぶ様過ぎておぞましい。

これ言っちゃうと教会にサタンが侵入とか言われる。頭悪いのも大概にしてほしい。

安息日守れる男たちって日本の現状、
社会不適格者で社会や組織からつまはじきにされてる人じゃないの?

それ万難排して安息日礼拝を守っている、とは微妙に違う気がする。
ハードル低いもの。否応なしに守っているだけです。

あと旦那をアル中にして献身きどり、
嫁に負担かけて準無職とか多い。

もちろんそんな境遇でも
楽観的で楽しそうでもなく
悲壮感で、見てらんない

だからか夫婦で協会員と片方だけSDAの格差というか断絶が傍目でもありありと。


 
    (嵯峨野教会牧師) 外部から入ってきた信徒求道者が、この教会の「文化」に適応するために「リバースエンジニアリング」のようなことをしなければならなかったことは少なくないと思います。  

教理『だけ』が真実。信仰者がほとんど偽クリな

 投稿者:  投稿日:2018年12月17日(月)15時38分58秒
  「私がうち(SDA教会内)からも外からも煙たがられて陰口叩かれて、物事が前進しないのは預言の通りで全く正しく、神に『献身』できている明かしであり祝福である。」と脳内で勝手な自己正当化。世的には認知的不協和ってやつ?典型じゃないか。

世的になんと言われていようが全く気にしない。一向に構わない。異端結構。
でも彼に続きたい。彼らの生き方も悪くないとは、決して思わせないのが

SDAあるある。
 
    (嵯峨野教会牧師) タイトルに笑っちまいましたぞ。教理だけ真実で信徒は不真実なSDAなんて洒落にもなりませんね。
あるある、というか、それそれ、です。
 

面倒だから秘密裏に携挙されちまえと思う。

 投稿者:  投稿日:2018年12月17日(月)02時43分17秒
  SDA神学は本物じゃないかと期待した。その予感は揺らいでいないのだけれども、行いによる義を軽んじているのか信奉者に全く魅力がない。一握り、謙りっぽいのを実践しているのだろうなぁという印象の人物のコメカミに青筋とか痛々し過ぎていたわしい。
ギャグかと。笑えない。
聖化なしに救い主の御前に立てない。に同意しているわりに、そこをクローズアップして皆で祈るわけでもない。
だから三々五々の談話会で隠微な陰口大会なわけで聖化も栄化もあるかーいって部外者は見るが、彼らには容易いことなのだろう。涙出そう
 
    (嵯峨野教会牧師) はっきり言いますが、今の日本の教会で語られている「信仰による義」は欠陥教理です。
特定の人物の解釈を持ち上げてそこから一歩も成長していないのです。
 

了解いたしました

 投稿者:名無しさん  投稿日:2018年12月17日(月)01時06分27秒
  嵯峨野教会牧師様

先生の意図されていることがよくわかりました。
聖書的説明をありがとう御座います。私も同意します。

 
    (嵯峨野教会牧師) ありがとうございます。  

躓かせてゴメンじゃなくてさぁ…。

 投稿者:  投稿日:2018年12月16日(日)23時30分49秒
  SDAの『表看板(日曜礼拝の他の福音主義とどう違うのかわからない)』と『真のSDA(EGWの著書の聖書解釈、の解釈。すごく真面目)』どちらサイドも信奉者の精気のなさに悪寒がする。
世的に繁盛している、していないとかではもちろんなくて、生き生きとしているか、どうかの点で。ご近所だけなのかな。

信奉している人間に本当、惹かれない。と面と向かって言ったら、至聖所の子羊だけ見てだとか、裁いてはいけないとか良くある韜晦なのか?お茶を濁される。聖徒の忍耐ってそういう事なのかな?すごく嫌だ。

真のSDAが世間一般で言う『異端』であってもそれが真理ならば。それはそれで一向に構わないのだが、
当の信奉者の生きざまとか証がまったく見えてこない。
識っているか、識っていないかの次元でなんか貶したり、誇ったりしていて(そんな時と教会員の悪口言っているときの眼だけは生き生きと輝いていて萎える)部外者目線ではすごく痛々しい。

聖書を読める、読めない、信仰告白や祈った、祈らない、聖霊が言った、言わないとかそういうのじゃなくて解りたいのですが。無理を望んでいるでしょうか?
 
    (嵯峨野教会牧師) 仰ることに基本的に同意します。
私もそれが嫌でした。ぶん殴りたくなるほどです。
 

内乱状態をアピールすること?

 投稿者:名無しさん  投稿日:2018年12月15日(土)23時32分1秒
  つまり嵯峨野教会の目的はこの教会が内乱状態になっている事をアピールすることですか?  
    (嵯峨野教会牧師) .
それだけではなく、聖書に預言された残りの教会がそういう悲惨な状況
であることを正直に提示した上で、その状況に勝利して打ち勝つもので
あることを教会の内外に見せることです。それによってSDAの信徒を
励まし、SDAの外にある人々が神を畏れるようになるためです。
 

教会の奉仕とは何か

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月15日(土)19時48分38秒
    コロサイ 1:25
  わたしは、神の言を告げひろめる務を、あなたがたのために神から与えられ
  ているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。


教会に奉仕をしているといいながら、神の言葉を継げ広めないなら真に教会に
奉仕することにはならないということです。では神の言葉とは何ですか。それ
は聖書ではありませんか。ですから何度も言っているのです。聖書の著者は人
間ではなく、神の霊感です。なにせ人間が書いたものだからというのは聖書に
対する著しい冒涜であり、そのような発言者を教会の長老として許容するわけ
には参りません。教会の奉仕とは何か、パトラックの食事を作ってくることか、
クリスマス会をすることか、午後に協会理事会に駆り出されることか、根本的
な反省が必要なようです。ここを見ている、外のキリスト教会の人たちから笑
われないために!
 

伊藤あきのりさんよ

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月15日(土)19時16分55秒
  しんきちさんよ。いい加減なことを自分のブログに書いて笑わせてくれるのは
結構だが、それよりも貴殿はテモテ第一の手紙2章1-4を読んで、安倍総理の
ために感謝と祝福を祈りなさい。彼は日本の国を守るために働いておられる。
 
    (嵯峨野教会牧師) .
https://www.youtube.com/watch?v=zhCx2iFo6BA
 

正義の内部告発は実名が有効

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月15日(土)18時20分23秒
   実名でISの蛮行告発 「おとなしかった妹」平和賞に
 イラク北部=高野裕介 ブカブ〈コンゴ民主共和国〉=石原孝2018年12月11日00時36分

上は朝日新聞のタイトルです。
ISによる集落の襲奪と性的凌辱の被害者が実名を賭して告発した
のが正義の回復につながったとして、その勇気が称えられています。
やはり内部告発は実名が有効です。それが教会の真の改革に至りま
すように。
 

一歩ずつ前進

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月15日(土)17時28分42秒
    >112 :神も仏も名無しさん:2018/12/15(土) 16:59:20.09 ID:gMsu3KhPJ
  >『鰻のぼりの閲覧数』
  >私の住む小さな町にもプロテスタント系の教会が二つあります。
  >ある日のことその建物のひとつが立派な教会になることを知りました。
  >いつの間にか金色の大きな十字架が塔の中央部に掲げられていました。
  >興味本位の気持ちで教会を覗いてると、ひとりの麗人(多分韓国系の女性)が近寄っ
  >てこられました。
  >「なにか御用でもありますか?」
  >「いえ別に、ただわたしも教会に行ってるものですから」
  >「あら、そうなの素晴らしいですね。 で、どこの教会に行ってらっしゃるの?」
  >「あまり知名度ないんですがセブンスデイアドベンチストっていうプロテスタン
  >ト系の教会です」
  >「ああ、あのSDAさん? よく知ってますわよ。聖書研究に熱心な土曜日
  >安息日厳守の皆さんでしょ。
  >わたくし達もキリスト聖書研究教会といってね聖書を熱心に学んでるの」
  >「そうですか、でも立派な建物ができたんですね」
  >「ありがとう、この会堂ってね、ほとんど教会員の皆さんの力なんですよ。
  >ところでSDAさんの会堂ってどこにあるの?」
  >「近くじゃないんです」
  >「それじゃ いらっしゃらないわたくし達のところに、皆で歓迎するわよ」
  >「・・・・」
  >「それに大変なんじゃないSDAさん、いつも読んでるわよ!嵯峨野教会
  >牧師さんのブログ」
  >「えっ そんなことないですよ」
  >「ほんとは大変なのよ組織を正しく運営するって。うちはそんなことないけどね」

  >こんな町のこんな小さな教会(でも新築建物立派?)での出会い、嵯峨野教会
  >掲示板の浸透度を再認識させられました。


SDA嵯峨野教会の成果が表れてきたようです。
そうなることが当職の当初からの目標です。
そしてキリスト教の認識を根本から刷新します。
そしてSDAを日本のキリスト教の台風の目に押し上げます。
我妻先生、喜んでください。
ハレルヤ! 主をほめよ。

これに慢心することなく嵯峨野教会は活動を続けてまいります。
 
    (嵯峨野教会牧師) .
  われらに助けを与えて、あだに向かわせてください。
  人の助けはむなしいのです。
  われらは神によって勇ましく働きます。
  われらのあだを踏みにじられる者は神だからです。

             旧約聖書詩篇60篇11,12節
 

我妻清三は狂人である

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月15日(土)09時21分2秒
  私は本来我妻清三氏が日本でリベラルと取っ組み合いの戦いをする
という約束を信じていたものの成されなかったので、その働きを代
行するように召されたまでです。ですから私の戦いを奇人狂人と罵
る者は我妻清三を狂人と罵っているのと同じです。この戦いは主の
戦いです。人間の常識を超えた戦いをこれからお目にかけましょう。
神に栄光あれ。石松よ白石よ、沈黙して教会から失せよ。
 

「恐れるな」

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月15日(土)02時25分42秒
  Go ahead and make your day.  
    (嵯峨野教会牧師) https://www.youtube.com/watch?v=wti8E-dQsu8  

嵯峨野教会アクセス鰻のぼり

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月14日(金)22時47分52秒
  ここの所理事会掲示板のアクセスが急速に上がっています。
恐らく教会内だけではなぅ外からも来ているでしょう。
嵯峨野教会は現状の組織の不正と原則無視を快く思わない
まともな信徒の代表として戦ってきましたが、
今こそ決戦モードに突入します。日本全国に注目される
戦いをします。恥じることなく突撃です。
 

公人、公益組織の批判は合法です。

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月14日(金)19時55分19秒
  何度も読者の前に確認しておきます。それが嵯峨野教会のミッションを支えます。  

教団緊急ニュース

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月12日(水)15時11分37秒
  教団と衛生病院は、学院看護大学の大学院設置構想をあきらめた模様です。
ソースは立川です。

大学院を作るといって高い給料をちらつかせて雇った人を一体どうするつもり?
 

(無題)

 投稿者:SDA信者のひとり  投稿日:2018年12月12日(水)11時10分22秒
  嵯峨野教会牧師さまの投稿を拝読し、日本教団の裏事情をあらためて知らしめられ、なんだか“悲しいですね”
先生の日記を読ませていただくなか、ふっと 妙に心に刺さる言葉をその行間にみたのです。
ああ、そういうことだったんですね。

学院諸先生のなかにとても清廉潔白なY先生というお方がいらっしゃいました。
その先生の奥様(とても活発で明るい性格のお人)がHFでパート勤務しておられました。
わたしの場合、貧乏学生だったので労作教育をかねてHFで奥様と共に働かせていただいておりました。
ある日、あの明るい奥様が涙声でHFの職員と話されている声を耳にしました。
「そうなのよ、駄目になったのよ! わたし辛くてね、娘のことをおもうと」
後で知ったのですが、Y先生のお嬢様にはご婚約者がいらっしたとのこと、それが破断になったらしいのです。
あの頃、セブンスデ―教会では奇妙な都市伝説もどきの話が広がっていました。
セブンスデーには男性信者一人にトラック1台分の女性信者がいる。
私たちはそんな雰囲気のなかで学院生活を過ごすことに女性として口にっすることのできない屈辱を感じていました。
しかし、学院生活はとても楽しかった。 憧れる異性の方もいらっしゃいました。
中でも頭脳明晰、容姿端麗なあの方は私たち女性の憧れのまとでした。
キャフテリアで分厚い英語聖書を片手にお食事をしているお姿などは今でも強く心に残っています。
もしや、あの方を結婚詐欺?と? それは若干にゅーアンスが違います、敢えて申すなら婚約不履行が正しいと私はおもいます。

しかし、嵯峨野牧師様 もうおよろしいのではないですか。お気持ちはわかりますがこれ以上の譴責は虚しいです。
神様は見ていらっしゃいますから。
 
    (嵯峨野教会牧師) 最後の2行にだけコメントします。
私も実はそうは思っていまして、神様が見ていてくださるという信仰はバプテスマを受けた時から持っております。
しかし、教会には自分の被害届も出せず、かといって他の人がどういう状況にあるのかもわからず悶々とした葛藤で鬱になっている人、それのゆえに信仰をやめて行く人が後を絶ちません。正義よりも組織の体裁が重んじられてきた状況です。そこで公正のためにも事実を書き残す人がいなくてはなりません。あなた方も同じようにしていいのですよという先鞭をつけるという意味においても、羊を守る羊飼いの働きとしても、事実をありのまま書き残しておくことは組織の浄化更生のためにも非常に意味深い(奥ゆかしい)と存じます。聖書の歴代誌、列王記もそういう趣旨で書かれております。これは考え方の違いですか。いいえ、時が来ればすべてが明らかになります。裁きは神の家から始まっております。
教会の悪を放置してみて見ぬふりをするのは自分の罪にもなるといわれている通りです。空しい譴責など何もありません。そういう趣旨でご理解をお願い申し上げます。
神は見ていてくださるという信仰があるからこそ強硬な譴責活動をいたしております。

下の記事は間もなく、医療伝道スレッドに移動しておきます。
医療伝道機関にはこれからもっと激烈な批判を展開いたします。ご期待ください。
なあミヤザエモン 見ているか おいw

結婚詐欺? vs  婚約不履行?    There is no big difference!  HAHAHA!
 

西暦2000年の日記 (ダブルポストにつき期間限定掲示)

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月11日(火)20時31分27秒
編集済
  2000年の日記の前から実は教団との戦いは続いていたのです。これをてこにして不正の教団組織を清めたいと思います。祈りによるお支えを感謝申し上げます。  
    (嵯峨野教会牧師) 当記事は医療伝道スレッドに移動しました。  

異議ありません

 投稿者:SDA信徒の一人  投稿日:2018年12月10日(月)22時41分40秒
  嵯峨野教会牧師様。残念ながらその通りであると思います。
私たち信徒も三育の暴走には長い間忍耐してきました。
言いたかったことをはっきり言ってくださってありがとうございます。願わくは
教団、三育が嵯峨野教会を読んで悔い改めに至りますように!
 
    (嵯峨野教会牧師) キリストの教会を愛し、実情に憂えるあなた様に神の祝福がありますように。  

(無題)

 投稿者:デリラ  投稿日:2018年12月 9日(日)06時11分2秒
  私は広島三育学院中高に通ったものです。もう20年も前のことですが、沢山学ばせて頂きました。則ち、「教師、牧師の言うことに逆らうな」「人と違うことをするな」「クリスチャン家庭の出では無いものはクリスチャン家庭育ちのものに逆らうな」「教師に淫行されたことは口外するな」「君は間違っている」「間違っている君の家族も地獄に落ちる」等々!!世の中で役に立ってますよ、

世の中にはつまらぬことを大声で言う大人が山程いるから自分の責任において自分の道を行け

と教えて頂きました。
 
    (嵯峨野教会牧師) 私は教師というものは逆らう為にあるという信念を持ったいたずらの天才児でしたが、中学生の時初めてSDA教会に行ってダニエル書黙示録を学び、これが事実であれば神に従うほかはないとさとって聖書を研究し、19歳の時にバプテスマを受けました。SDAの人たちは聖書についてほかの教会の人たちよりも高度な知識と知性を持っているのだろうと思って東京に行ってみたらそうでもない人と違うことをしない凡人の集まりだったので大きく失望したことを覚えています。中学生の時に三育学院の話を聞いて自分も行ってみたいと親に言いましたところ、激しく反対されました。今思ってみればその時に行かなくて絶対によかったと思ってます。ごめんなさい。

今、日本の三育教育機関が軒並み衰退、縮小しているのは、こうした過去の似非クリ教育の負の遺産の集積の結果であることを厳かに全教会員の前で申し上げます。ご異議ご異存はございませんか。
 

SDAは旧約と新約を完全にブリッジする最後の残りの教会です。

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 8日(土)19時23分18秒
  アブラハムの契約の下で律法を守る(エペソ2:8)。もしアブラハムの契約の下で
人類が神の律法を守るのが不可能であったなら、我々のすべての魂は失われる。ア
ブラハムの契約は恵みの契約である。恵みによってあなた方は救われる(ヨハネ1:
11,12)恵みによって救われるのは、従順でない子らであろうか。いな。彼らはす
べての戒めに足して従順なものである。もしわれわれにとっての戒めの順守が不可
能ならば、なぜ神は神の戒めへの服従を彼に対する愛の証明にするのであろうか。
                                               Letter 16, 1892

SDAは旧約と新約を分断している日曜教会を穏やかに譴責します。
あなたがたもアブラハムと同じ信仰を持つようになることが再臨の準備です。
へブル所の11章を涙と脂汗を流してお読みください。>All
 

ニコライ宗と戦おう

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 8日(土)19時03分33秒
  黙示録の「ニコライ宗」の教えとはなんであるか、預言の霊のメッセージはそれを
明確に証の文に記させております。ご覧ください。

「キリストの福音は神の律法を無効にした、我々は信じることによって、み言葉を
行う必要はない」、という教理が現在広く教えられている。しかしこれは、キリス
トがあれほどまでに激しく非難なさったニコライ宗の教えである。
ST1912年1月2日


同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。 だから、
悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの
口のつるぎをもって彼らと戦おう。
黙示録2:15,16


それゆえに嵯峨野教会牧師は匿名のままの白石と教会員注視の前で激しく戦うこと
を決意して嵯峨野教会を開きました。安居マスヤ氏などの優柔不断な牧師たちにも
そう説明してあります。それゆえに本郷エサウとから医師国家試験受験のサボター
ジュを受けました。しかし、そうすることによって嵯峨野教会は事実上公認され、
黙らせられない抵抗勢力であることを認めました。ご異議は御座いませんか。
これをもってニコライ宗の教えとは堕落した福音主義のことと同意をお願いします。
聖書の言葉に字義通り従ったら命がいくらあっても足りないと繰り返す林の縊死松
長老もニコライ宗の教えを報じているのがこれで明白で御座いましょう。これから
SDAの歴史に残る戦いを致しますので教会の内外の皆さんの閲覧によるご参加を
希望いたします。
 

十字架なしの救いなどありえない

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 7日(金)20時10分56秒
  十字架の犠牲はヒトをその本来の完全さにまで回復する目的のために捧げられた。
                           MS56、1899


十字架がなければ我々異教徒は救われることがないばかりか完全になることもないのです。
 

真理に抵抗する者が偽りを産み出す >石松

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 7日(金)19時51分24秒
  もし人が正しい方向へ彼の判断を導くのに十分な証拠に抵抗すれば、
二度目にはそうすることがもっと容易になる。三度目には彼は更に
熱心に神から自分を引き離そうとし、サタンの側に立つことを選ぶ
のである。そしてこのような道を辿り続けて、遂に彼は悪に固まり、
自分が大切にしている偽りを真理だと信じ込むに至る。彼の抵抗は
その報いを産み出したのである。

                       MS126、1901
 

(無題)

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 7日(金)02時55分48秒
  SDA教団理事会に対する公開質問状

教団理事長辞任勧告決議に関する件

このたび教団理事会が上記の決議をされたことを知り、私たち信徒は大変驚くと同時に、心から遺憾に思っています。教団総会で正式に選出された理事長を、任期中途で更迭するという大変重大なことを、教団の上層部が私たち一般信徒の全く知らない所で、内密に計画し唐突に決議したことに対して、私たちは大きな疑念を抱くとともに強く抗議するものです。教会指針に「教区および教団の組織において、すべての行政権限は教会員から生じる。」(p.147)とあり、また「教会の権威が教会員にあることを認め、」(p.34)と明記されています。教団の役員は教会員から教会行政の一般的業務の執行責任を委任されていますが、理事長の更迭というような重大な問題については、法律違反等緊急やむを得ない場合を除き、当然委任した教会員に計るべきです。しかるに理事会は、教会指針に保証されている教会員の基本的権利を認めずに、特別委員会を設置して、理事会の意に沿った答申を引き出した上で上記の決議をしたことは、理事会の権限を逸脱してはいないでしょうか。
北太平洋支部総会の総理も委員会に出席し今回の教団理事会の決議を是認されたようですが、理事長に対する辞任勧告が規則に則った正当なものであるという根拠を明示すべきです。次の総会までは理事会が最高議決機関であることは承知していますが、もし今回のようなことが許されるのであれば、総会で理事長を選出する意味が無くなってしまいます。なぜなら、せっかく選んでも理事会の意に沿わなければ直ぐに更迭されてしまうのですから。わが教団のみならず上部機関までが、組織の最高責任者の選挙についてこのような認識しか持っていないとすれば大変残念なことです。
私たち信徒は、このように重大な問題は理事会が密室で論議すべきものではなく、信徒を含めた公開の場で関係者の弁明を公平に聞き、充分な論議を尽くしてから結論を出すべきものと考えます。私たちはこの件に関する理事会の措置について多くの疑問を感じていますので、下記の問題点について、速やかにその真相を明らかにされるよう、ここに要請いたします。
                  記
[1]辞任勧告の妥当性について
 (1)教団行政諮問委員会の委員から、理事会宛に理事長の更迭を要請する文書が提  出されたとのことですが、この文書には一部の委員の名が記載されていないので、委員会の正式な答申とは認め難いと思われ、しかも内容が重大であればその取扱いには特に慎重を期すべきであるにも拘らず、理事会はなぜこのような私的文書を緊急動議として認め、決議を急いだのでしょうか。
 (2)「対話と圧力」が今や国際政治のキーワードになっていますが、SDAにもそのまま当てはまるようです。理事会は理事長との「対話」は、もはや不可能で「圧力」以外に方法は無く、しかもその「圧力」は「対話」を引き出すためではなく、理事の意向に沿わない理事長は解任すなわち「抹殺する」という、ブッシュ流の強硬姿勢のようです。謀略的な政治の世界ならいざ知らず、これが愛を語り赦しを説く牧師指導者の執るべき態度なのでしょうか。アドベンチスト・ライフ誌の「教団理事会リポート」を見る限り、今回の事件に関する理事会の対応は、キリスト者としての立場から考えて、全く妥当性を欠いていると思わざるを得ません。

[2]辞任勧告の理由について
    下記の理由が考えられますが、今回の件については「教団理事会リポート」によれば、(4)だと思われます。
  (1)背任行為等法律または教団規則に違反する行為。
(2)法律・規則等の違反ではないが、道義的責任をとるべき言動。
(3)職務遂行が困難な肉体的または精神的な健康状態。
(4)理事長としての職務遂行能力や資質の欠如。
上記(1)、(2)、(3)の理由であれば、教団規則によってもまた常識的にも辞任勧告は当然の措置であると考えます。しかし(4)が理由だとすると、疑問が生じます。なぜなら、(1)、(2)、(3)の理由は、就任前には存在していなかったか、あるいは存在していてもその事実が判明していなかったと思われるので、判明した時点で辞任を勧告するのは当然のことです。しかし(4)の理由は、就任前からすでに明らかであったはずですから、責任は選ばれた理事長よりも、むしろ理事長を選んだ側にあるというべきです。現理事長の能力や資質は、その長年にわたる牧師、教区長、教団総務局長 としての過去の実績を見れば明らかであり、理事長としての適性は容易に判断できたからです。この故に、理事会が指摘した(4)が辞任勧告の理由だとすると、役員推薦委員や総会代議員は、候補者の適性を審査する重要な義務を怠ったことになり、その責任が問われます。しかしこれは理事会が総会の最重要決議を覆すことになり、組織として安易に許されることではないはずです。また総会終了の時点で前委員や代議員はその任を解かれていますから、結局誰にも責任を執らせることは出来ません。従って(4)を、更迭の理由にするのは無理ではないでしょうか。
私たちは理事長選挙の結果について、総会が人選を誤ったと否定的に見るのではなく、肯定的に見る必要があると思うのです。賢明な推薦委員や代議員が祈りのうちに理事長候補者を慎重に審査した結果、多くの欠点を承知の上で、現在の閉塞状況を打破するためには必要なリーダーと判断して、あえて選任したものと私たちは理解したいのです。理事長に指名された指導者が、私たちの期待した人物ではなかったとしても、選挙によって選ばれた以上、そこに見えざる神のみ手を信じるべきだと私たちは思うのですが、これは間違いでしょうか。もし間違いだと言われるなら、神のみ手を選挙結果以外のどこに信じたらよいのか、聡明な先生方にぜひ教えて頂きたいのです。
私たちは選挙の結果を謙虚にそして積極的に受け止めることが、選挙制度を採っている組織の一員としての義務であると考えます。
なお、上記(1)~(3)の理由によって理事長の更迭が必要な状況が発生した場合を想定するならば、理事だけの密室謀議ではなく信徒を含めた公明正大な対策が採れるように、リコール制度の導入を検討されたら良いのではないでしょうか。

 アドベンチスト・ライフ誌の「教団理事会リポート」によれば、「理事長のリーダーシップのあり方および行政の混乱の責任」が問われたとあります。更迭が法律または内部規則違反など明白な客観的理由ではなく、「リーダーシップのあり方」というような主観的な理由に基づいて行われることは、大変危険です。なぜなら「リーダーシップ」については、いわゆる日本型と西欧型との相違も指摘されており、どの型を採るかは、現状認識の視点や程度によって、議論の分かれるところだからです。
 「和」を重視する「日本型リーダーシップのあり方」から見れば、現理事長に問題があることは事実でしょうが、「ドライ」な「西欧型リーダーシップ」が、危機に際しては特に必要なことも否定できません。対立する両者に言えることですが、異質な者を排除する発想では、改革は成功しません。組織運営上の「和」は、「斉唱」ではなく「合唱」のハーモニーの中にこそ存在するのです。異質な者同士の柔軟な「対話」による解決を両者に強く求めるゆえんです。
理事会が柔軟路線を拒否して、どうしても現理事長の責任を問いたいのであれば、これまでの歴代の理事長のリーダーシップのあり方も同時に問うべきです。もし歴代の理事長が、リーダーとしての透徹した先見性と卓越した行政能力そしてひたむきな情熱を持っていたならば、SDAの教勢や財政状態がこれほどまでに落ち込むことは無かったはずではありませんか。組織の長たる者は、すべて結果責任を執るべきであるからです。実績の低迷を他人や環境のせいにするのは、指導者としての責任感の欠如を示していることにほかなりません。
 「行政混乱の責任」について、私たちはその具体的内容を知りませんが、多分理事長の独断的なリーダーシップに対する反発だろうという想像はつきます。しかし、現理事長のこのような資質は周知の事実であったことは前述のとおりであって、それを今更あげつらうのは、天に唾するようなものではありませんか。理事の方々は本当にご自分の行為が天に恥じないものであると断言できる確信があるのでしょうか。実は指導者がこれまで執ってきた態度こそが、「行政の混乱」どころか教団全体に混乱と停滞とを招き、信徒に不安と不信とを抱かせているとお考えにはなりませんか。

[3]「油注がれた者」の権威について
   教団の理事長は、教団理事会の「議長」であると同時に、SDA教会並びに各事業部門を統括し、内外に対してその責任を負う代表者です。たといベストな人選ではなくベターなものに過ぎなかったとしても、あるいは反対意見があったとしても、多数決の原則に従って総会が承認した以上、神が批准された「油注がれた者」とみなすべきではありませんか。理事長の考え方や指示命令が、神の戒めに基本的に違反していない限り、具体的な運営面での方法論や見解の相違があったとしても、各理事は理事長の基本方針に従ってこれを補佐するのが組織の常識だと私たちは心得ています。信徒理事ならともかく、役職兼務理事は特にこの点を厳格に遵守すべきです。この点を教団の役職者が十分認識していないところに、SDA組織の「甘えの構造」があるように思われてなりません。
理事長の考え方にどうしても賛同できない理事は、自ら静かに身を引くべきであって、理事長に辞任を迫るのは筋違いであり、「油」を注いだ神への反逆ではないでしょうか。もちろん理事長は理事会の意向を受けて行政権を執行すべきですが、理事長職は単なる司会役ではないのですから、他の理事よりも一段と強力なリーダーシップを発揮すべきことは今更言うまでもありません。もし誤ったリーダーシップをとれば必ず実績となって現れるのですから、任期満了の時点で容赦なく総括し、その責任を徹底的に追及すればよいのです。過去において、指導者が当然執るべき責任を執らなかった事例を私たちは知っています。(それにしても5年の任期は長過ぎます。世界総会との調整もあるでしょうが、役員の任期は4年にすべきです。今回の事件は5年という非常識とも言える長い任期が、気短な指導者達の焦りを誘ったのかも知れません。)
一般の企業においても、就任した代表取締役が改革の方針を打ち出したら、全取締役はたとい内心では不服であっても、これに従わなければならないし、従いたくなければ自ら辞任し組織を去るのが常識であることは、ゴーン社長の率いる日産自動車の例を見るまでもなく明らかです。教会は一般企業とは違うと言う人もありますが、組織の運営方法や意思決定の仕方では共通点があり、特に役職者としての責任の執り方については、教会は企業から多くの点を学ぶことができるように思います。

[4]SDA教団運営上の問題点について
   今から3年前、白石理事長の頃に、金沢守恭責任役員がアドベンチスト・ライフ誌に教団運営上の具体的な問題点について、組織の根幹にかかわる大変重要なことを指摘されました。その要点は次の3点でした。
① SDA組織の官僚化による「無責任症」
② 談合体質的「委員会病」
③ 教会員の「無関心症候群」
   私たち一般の教会員は行政運営にかかわっていないので、具体的には分かりませんが、教団理事であり責任役員でもあった金沢兄の証言は、まさに核心を突いたものに違いないと思います。教団の機関誌に問題点が公表されたのだから、教団は当然その改善策を講じられたものと私たちは信じていました。ところが今回の事件で教団は3年前に指摘された問題点を全く改善しなかったことが明らかになりました。実は指導者のこの怠慢こそが組織運営の混乱を招いている元凶だと私たちは考えるのです。下記の現状は金沢兄の3年前の指摘と完全に符合します。
① 最高責任者である理事長の命令に従わない無責任な官僚的行政担当者。
② 密室談合で異質な者は理事長でさえも排除しようとする委員会や理事会。
③ これらの事実を見せられて、ますます「無関心症候群」に落ち込む教会員。
しかし、何よりも悲しくそして不思議なことは、これらの事にかかわった全ての方々が、日頃は異口同音に神のみ名を語っていることです。私たちの信じる神は、異質な者を排除する神ではなく、受容して下さる神であることを、ぜひ再確認したいものです。信徒に対して赦しの愛を説く前に、まず牧師でもある指導者ご自身が赦しの模範を示して下さることを切に願うものです。

[まとめ]
   標記の件に関する教団理事会および行政諮問委員会の措置は、一般信徒にとって誠に理解し難く、遺憾極まりない事件です。私たちの総意で選んだはずの最高責任者をこのような手法を用いて更迭することは、一種のクーデターであって、キリスト教会が執るべき手法では断じてないと私たちは確信します。
   本来このように重大でしかも微妙な問題は、教会外の人にも読まれるライフ誌に掲載すべきものではなく、教会内部で徹底的に論議すべきものではないでしょうか。いま偉い先生方がなさっていることは、夫婦喧嘩を近所中にふれ回り罵り合っているようなもので、信徒として真に恥ずかしく、居たたまれない気持ちです。
この事件がSDA教会の名誉を内外に対して著しく傷つけたことについて、関係者の釈明だけで終わらせるべきではなく、特別委員会を設置して、現在及び過去の地位の上下に関係なく厳正な処分を検討すべきものと考えます。もし現在の教団に自治能力も自浄能力も無いのであれば、改革案として教団理事の構成比率を「教役者5対信徒5」(理事長は教役者)にするよう教団規則等の改正を強く要望します。もしこのような抜本的改革が不可能ならば、最終的には残念ながら、自治権を持つカンファレンスの組織を解体して、自治権の無いミッションに組織変更する以外に、選択肢はないと思われます。
私たち一般信徒にとっては、自治権があるために指導者同士が主導権争いを演ずるカンファレンスよりも、このような争いが起こり得ないミッションのほうが遥かに良いと思います。教団行政は世界総会(北太平洋支部)が指名する専門家に任せて、全ての日本人牧師は本来の伝道活動に専念していただくほうが、お互いにとって幸せではないでしょうか。 極端な意見と思われるでしょうが、ドラスチックな改革を行わない限り、問題の先送りで終わるであろうことは過去の歴史が証明しています。
私たちの主張の聖書的な根拠は、背信したサウル王に対してさえ、「主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか」(サムエル記上26:9)と言ったダビデの言葉です。理事長は、神が直接任命した旧約時代の王とは違い、神から委ねられた権限に基づき教会員が任命したのですから、任命権者である教会員(教会指針によれば根源的な意味では理事会ではなく教会員)に対して忠誠を誓う義務があります。この義務を果たしているか否かを最終的に判断するのは教会員のはずですが、現状はその当然の権利を行使する機会が殆ど与えられていません。教団上層部の密室談合的行政運営に私たち信徒はいつまで耐えなければならないのでしょうか。
いろいろな事を述べましたが、真実を知らないために誤解している点が多くあると思います。だからこそ理事会は私たち信徒に無用な誤解を生じさせないために、もっと信徒を信頼して開かれた教団運営をして欲しいのです。心ある教会員は教会行政に対し決して「無関心症候群」に陥ったのではなく、その再生を心から願いまた行動することを明らかにするために、私たち教会員有志は正直な気持ちを隠すことなく表明し、ここに公開質問状として提出しますので、ご回答を速やかに下さるよう要請する次第です。
                                                        以 上

2003年8月  日

                        青 木  克 彦 (天沼教会員)

                         津 嘉 山  薫 (天沼教会員)

                     三 尾  喜 作 (仙台教会員)

                     堀    和 雄 (天沼教会員)

(五十音順)

 
    (嵯峨野教会牧師) しかも、この公開質問状に対して教団は一切何も答えてきませんでした。2003年から無視、虫、蟲の状態を続けているのです。まるで2chの石松のようです。公開質問にすら答えない教団と同じ精神を持っている石松も教団関係者に間違いありません。(教団とは関係ないと言っていますが匿名特権に甘えてそう言っていると考えれば一瞬ですべてがつながりますね、なあ白石)  

韓国から学ぶものなどありますまい

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 3日(月)17時54分42秒
編集済
  安居先生方にもこの際はっきり申し上げなければなりませんが、
韓国からくる信徒、牧師には日本人が見習うべき霊的で原則的な
人、献身的な人もおられます。事実です。しかし、それは個
人的なものです。それをもって韓国のSDAが全体が素晴らしいな
んてとんでもない誤解です。韓国のSDAは大半がリベラルであった
り再臨祈祷院のような自分勝手な世界観をもって泳いでいる似非
アドベンチストライフをしている人たちも少なくありませんから、
韓国から来た人に霊的な純粋な人がいるからと言って、韓国に学
べという事にはなりません。韓国は幼弱で内部統制のないバラバ
ラで危険な百鬼夜行集団であること言う認識を要請致します。

ここは韓国の人も読んでおられるので、当職の見解に同意される
方も少なくはないと存じています。
 

日韓断交したらSDAはどうなる 2

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 3日(月)17時41分21秒
  あえて政治的な問題ではなく霊的な問題として、と言ってみたのは、
日本のSDAの戦後の歴史は、いわゆる在日の指導者に主導権を奪われて
日本人の信徒が利用されてきた歴史を反省してみたいと考えたのです。
岡藤をはじめ、少なからずの教団指導者は在日か在日利権をバックに
した人です。千先にホモだとばらされた教区長も在日です。「韓国に
信仰を学べ」と言ってきた人は必ずしもそうではありませんが、そう
いう風に考えるように誘導されてきた人です。こうしたことを構造的
組織的に反省するときが来た、それが日本の戦後のSDAを反省する起点
となることを私は願っております。

できましたら、SDA嵯峨野教会理事会掲示板に直接ご意見をお書込みい
ただけますと幸いですす。激しい議論をするのが理事会の本文とする
所であります。

                   嵯峨野教会牧師 拝
 
    (嵯峨野教会牧師) 2chにこのような発言が上がっておりますが、
「ブログの獨島記事は云う『私は日本国民の一人として誠に苦々しく恥ずかしい想いを味あわされています。現在の日本政府は法的には明治政府の
後継政府です。行政の継続性はないがしろにできません。従前の政府が平和裏に決定した政策事項に対し正当な理由もなく
勝手に無効にしたりはできないのではないでしょうか?当然この獨島に関する指令にも現在の政府は拘束されるはずではないでしょうか』
おいおい ちゃぶ台返しをしてるのはどっちなんだい?」

とはいうものの、この竹島問題の同じ発言者は、安倍と朴の日韓の慰安婦合意については、「国際合意はその時によって変わっていい」のような事をほかの場所で平然と言い放っております。ですから、明治はじめのお公家さん時代のどうでもよい政府声明にこだわる必要はないと自分で言って、拳銃で自分の足を撃ち抜いたも同じことをしています。笑 気ままに感情に任せてふらふらした事を書いていると自家撞着して馬脚をだす見本です。ですから上の某あきのり君の発言はあまり気になさらず、穏やかに笑って無視すれば平和になるでしょう。

こんなことも言っておりますよ。
「一番重要な首都圏の空を、外国軍に占領されてるような、主権のない名ばかり「独立国」が、自国のものでもない、他国の領土の島(韓国領獨島・ロシア領南クリル3島等)を自分のものだと、執拗に根拠の無い言い掛かりをつけ続けてるって・・人類史上稀有の異常な国!?と言うか、なんかブラックジョークとしか思えない」
セブンスデーアドベンチストの信徒がこんな社会知識を欠いた出鱈目を書いているというのでSDAの日本伝道が一層困難になるのではないかと心配します。
 

日韓断交したらSDAはどうなる

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 2日(日)22時20分55秒
  読者のご意見を募集しましょう。
私は必ず良くなると思います。ですから断交推進派ですが。
政治的な問題ではなく霊的な問題として考えてみたいと思います。
 
    (嵯峨野教会牧師) 信仰と良心をかけて日韓断交に賛成するSDA信徒(牧師)がいても構わないでしょう。
何事も信仰に寄らないものは罪です。異存は御座いませんか。
 

SDAの一致とは

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年12月 2日(日)06時50分48秒
編集済
  SDAの一致とは神の戒めと約束を守るという点にのみにあります
愛があればよいと言いますが、同じ神のみ言葉を信じていないで
愛だけで一致できるのではありません。愛は大切ですが、愛があれ
ば自然に一致できるのでは断じてありません。
一致のある所に愛があるのであり、愛があれば一致できるとい
うのは間違いです。日曜教会はSDAよりは愛がありますが、一致な
どないのを見ればおわかりでしょう。私たちはこの点においては
一切妥協してはならないのです。
 

責任は拡散されるべきか

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月30日(金)04時29分11秒
    >7 :神も仏も名無しさん:2018/11/29(木) 11:17:56.04 ID:4eSOXIFJn[1/4]
  >A田氏の行くところは、殆ど、問題が起きている。何故だろうか?

  >68 :神も仏も名無しさん:2018/11/29(木) 11:26:48.88 ID:nAFfLXBcE
  >Â田先生だけの問題ではないと思う。
  >教団内部にも問題があるのではないか?

嵯峨野教会諜報網は、このAダという牧師は証の文や聖書の預言を信じない人であると
聞いております。カトリックは獣の教会ではないと2chで騒いでいる不届き者の長老
と同類項であると私の方に報告されております。情報提供者の皆さんありがとうござい
ます。ただ、それだからと言って責任がAダにあるのか、教団の監督不行き届きの霊的
にずさんな管理体制にあるのか(それは私が平尾に指摘して激しく激怒されたことであ
るが、私は考えを全く変えておりませんコースケ君)、いやもっとはっきり申し上げる
ならば長野教会の前任の牧師は全く問題がなかったのかというところまで反省しなけれ
ばいけないかもしれません。そう思いませんか我妻センセイ。あなたが言っていたよう
に教会の粛清が必要な時が来たのではありませんか。

いずれにしても長野教会が分裂したのは事実のようです。その事実をもってインターネ
ット上に公開したことによって教会内部の戦いの賽は投げられたのです。
 

そうか やっぱり。

 投稿者:SDA信徒  投稿日:2018年11月29日(木)11時20分6秒
  SDA長野教会が分裂した、この記事を読み、驚きません。矢張りそうなったかの感想です。
関東エリアの教会・集会場ではどこの場所でも同じような問題をかかえています。
SDA長野がある意味今後のSDAの進むべき指針(方向づけ)を暗示させる予感がします。
 
    (嵯峨野教会牧師) 次に分裂する可能性のある教会はどこですか。柏ですか。
 

SDA長野教会が分裂

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月28日(水)19時15分22秒
  証のふみに対する姿勢の違いから教会が分裂したそうですが
確認をお願いします。

 

どんどん警告

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月28日(水)19時13分27秒
  But the natural heart hates the law of God and was against its holy claims.
Men shot their souls from the divine light, refusing to work in it as it shines upon them.
Selected Messages 1 p217


人間の肉なる心は神の戒めに文字通り従おうとしないし、従うことを拒絶する。
林の縊死松のような真理を憎む長老になってはいけません。
 

今月最後の言葉

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月26日(月)20時56分47秒
  神に栄光を帰し、神のみ名を高めるものは祝福され強められる。
自分や人間の組織に栄光をを帰すものは衰える。
 

ダブル連載開始

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月25日(日)19時58分43秒
  二つの短いメッセージの連載プロジェクトを「教会ロビー」で開始します。
 

アドベンチストのメッセージ募集

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月24日(土)23時42分4秒
  皆さんの中で、SDA信仰の燃えるスピリットと原則に立つ使命への回帰を
教会の説教壇から語りたいのだが、ほかの牧師や教団が許してくれないとい
う方はいらっしゃいませんか。いらっしゃいましたら礼拝メッセージの原稿
を嵯峨野教会牧師の当職までお寄せください。それを嵯峨野教会理事会メッ
セージ板、およびインターネットのそのほかの場所に適当な著者名を付け掲
示して大規模拡散のお助けを致します。奮ってお寄せ下さい。アドベンチス
トメッセージの拡散は今の教団には任せられません。我々がやりましょう。
 

蓋棺録 長窪専三 

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月23日(金)05時23分20秒
編集済
  元三育学長の長窪専三が亡くなられた。葬式は身内だけでひっそりと行われたらしい。
同じころ、お調子者の曾根田健二教団総務が死んでいるが、こちらは三育学院で結構
盛大に葬儀があった。つまらない人も彼の功徳をたたえるために大挙して集まった。
元総務ですらそれくらいの葬儀をするのに、長窪の葬儀は簡素で身内だけだったとい
うのは、同じ時に死んだだけに興味深い対照である。

長窪は、若い時はやんちゃで「いたずらの天才」と言われていたそうだ。三育教育を
一応は受けたが、すべてにわたって反抗的反逆的で、常に学校の問題児だった。ある
時労作教育で三育フーズで働いていて、いたずらが嵩じて自分の指をフードミキサー
か何かに突っ込んでおおかた寸断しかけた。自分のせいでみずから事故を招いたのに、
彼はこれは労作教育のせいだ、ナンセンス活動のせいだと言い続けていたそうだ。い
たずらの天才と言われるだけあって頭は良かったので、その後三育カレッジに言って
神学部で優秀な成績を取り、自らその道の博士になる進路を選んだ。PhDを取る勉
強をした時にはフィラデルフィアだかの大学院で毎日午前2時まで必死になって英語の
文献を読みまくって格闘していたと話を彼の妻から聞いたことがある。そうして苦労
のかいがあって日本に戻ってきて、山形俊夫が岡藤によって三育カレッジの学長を引
き下ろされた後に、その椅子に収まった。岡藤も結構世俗迎合でいい加減でリベラル
だったが、長窪はそれを上回るリベラルだった。彼はホワイト夫人の証のふみが大嫌
いで、事あるごとに証のふみを一文献として扱い、預言の霊のたまものであるという
我々の認識から引き離そうとした。

私が今でも覚えているのは、彼がコリントの手紙の「愛の章」を持ち出してきてそれ
に一通りの学術的講釈と彼の意見を加えて、東北の会津若松のキャンプミーティング
でデビューした時の事だった。その時仙台教会に個人的に聖書をよく勉強する学生が
いて、それを当時のホモ教区長が発掘し、彼に一つの集会を持たせたことがあり、そ
れが神学博士の長窪のレクチャーと比較され、信徒や牧師(特に平尾。覚えているだ
ろ平尾?)に激しく散々に酷評された事だった。アメリカくんだりに行って博士号を
取ってきた学者が、仙台教会の青年信徒の話よりも下手クソだと話題になったも
のだ。私は当時、そのどちらの話も必ずしも関心がなかったのであまりよく聞いてい
なかったが(私はダニエル書黙示録一徹だったからw)、長窪のデビュー集会はそん
なに成功したものではなかった。

後に私が山形医を中退して、三育に身を寄せた時に、安息日をそこ迄して守らなくて
もいいのに守ってアメリカの留学奨学金を出してやるとは何事だといって私のことを
快く思っていなかったリベラルな人たちがいた中で、長窪が私のことを評価してなん
といったかは今でも覚えているが、「今までよりも人格的に成長がみられる」とミヤ
ザエモンに報告してくれたので、私の首の皮が一枚でつながった。我妻先生にそれを
言ったら「人格が成長しただなどと長窪に言えた義理か?」と怒っておったのであるが、
私は何も言える立場ではないのでそういう評価を従順に受け入れるほかはなかったの
である。長窪もリベラルの手前、第七日安息日を守って医学部をやめてくる学生のこ
とを手放しで褒めるわけにはいかなかったはずだ。そのような制約の中で人格が成長
してるぞと言ったのはせめてもの武士の情けだったと思える。その話は私が外部出版
のエッセイ「犬解剖物語」の中の一節でも触れている。関心のある人は読むとよいだ
ろう。w

こうしてSDAのアイデンティティを侵食するために反抗しながら学長業を続けた長
窪であったが意外なことに彼の最大の敵は保守ではなく、もっとひどいリベラルであ
った。それがギボンなのだが、詳しいことは彼が死んだときの蓋棺録を書く時まで楽
しみに取っておくとしてここでは簡潔に触れておく。長窪が学長をしていて、後継者
を選ばなくてはならない時期に来ていたが、彼はギボンはその任には全く不適格であ
ると気が付いていた。長窪のように頭はそれなりにいいし、一応東京神学大学の博士
号もある。長窪がギボンがアンドリュースで勉強したというのは詐称であることは気
が付いていたはずである。しかし問題の根本はそこにではなく、ギボンの情緒不安定
性にあった。彼はこのような落ち着かない人間に学長の椅子を譲りたくないと思った。
それで学長を上田勲にと思ったのである。それがギボンの逆鱗に触れて、彼と長窪の
関係は最悪になった。田淵昭川が学院に呼び戻されてきたのは、ある筋からの情報に
よれば、上田が学長になることを妨害する目的だったという。まあ、こうした前門
の虎後門の狼のような状況で彼は学長を続けた。長窪は対立する立場の者であ
っても有能であると見れば進んで援助の手を差し伸べる人だった。時給伝道に逃避し
た造反者津嘉山繁の息子の睦にすらも、「オメガ」を翻訳出版した際にもっと勉強し
てみないかと資金援助を申し出たこともある(本人は辞退したが)。育てるべき人物
を見る目が在ったのである。その資質は後の祇文には決定的に欠如していたのは言う
までもない。長窪が学院を辞めるときは後腐れなくなにも未練もなく、利害も人間関
係も残さずに、切れたように去っていった。そして彼は妻と一緒にカトリックになっ
たという情報を聞いていたが、実際はそうではなく、神を信じない無神論不可知論者
になってSDAとコミュニケーションを絶ったということだ。これは三育から蹴りだ
されても、自分の築いてきた学院の勢力と人間関係を常に監視して維持し続けていた
という縄張り本能のギボンと対照的である。このギボンの監視のために学院の働きに
奉職する望みを絶たれたアンドリュースの留学生は少なくない。


こうしてSDAから離れたとはいうものの、私は偶然から、平名玄太という改革派
に流れた人からコンタクトを受け、その平名が長窪と連絡を持っていたことを後に知
った。平名は私に改革派に入ってほしかったらしいが、もちろん私はそういう関心は
なかった。その時に私は平名を通して長窪からユダヤ教研究書の贈呈を受けた。彼が
改革派に賛同していたとは思えなかったが、学院で私の人格的な成長を教団におざな
りな報告をしてニコニコしていた記憶と重なり、心に思うものがあった。



私も少年時代は左翼思想に走り、教師と大喧嘩をして、いたずらの天才というあだ名
をほしいままにしていたことがある。そういうところは長窪と同じところを通ってき
たかもしれないが、結局進んだ道は彼とは対照的な道だった。私は彼の反アドベンチ
スト的な思潮には同意することはなかったが、よく考えてみると、彼がアドベンチス
トの伝統に反抗して大暴れしていたのに、私は今彼と真反対のことをしている。そう
いうところは、これは人間的な言い方をするが、通底していたのではないかと思う。
状況が違っていたら、一緒に酒を飲んで楽しくやっていた仲になっていたのかもしれ
ないとすら思える。

曾根田に冥福を祈らない手前、私は長窪にも冥福は祈らない。神が見ていて下さる。
 
    (嵯峨野教会牧師) 追記:
三育で上田勲を死に追いやり、本郷や白石とつるんで天沼臨時総会で金城を引きずりおろし、一時は天下を取ったと思っていたギボンが、バックファイアーの激しい批判攻撃を浴びて学院にいられなくなった時に、なんと晩年の長窪のところに「タスケテクレー」と泣きつきに行ったという情報を立川教団内部者から得ました。自分を学長にしようとしなかったので対立していた長窪に没落の泣き言を言いに行ったというのは、結局長窪も最後までギボンにすら慕われていたという事なんでしょうか。サムエルのアドバイスを求めに霊媒のところにいったサウル王の故事を思い起こさせます。どんな会話がなされたのか、記録していた天使に尋ねたいです。爆笑
本当に長窪先生は不可知論になってしまわれても最後まで愛の人だったのです(棒読み)。
 

「敵」ながらあっぱれ

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月22日(木)17時46分43秒
    >48 :神も仏も名無しさん:2018/11/22(木) 16:49:09.52 ID:2tYqV29w9
  >長窪先生がお亡くなりになったと嵯峨野教会理事会が報じられています。
  >如何であれ、長窪先生が残された業績は宗派を超えて甚大でありました。
  >先生は楢葉の地にあって愚鈍ではなかった、そして他の追従を許さなかった。
  >唯一、良い意味で、宗教人であって宗教人でない、真の人間!
  >そんな風格が備わっていた。
  >先生のご冥福を心から祈ります。

  >同時に嵯峨野教会の時に遇うタイムリーな速報に感謝。


私も嵯峨野教会で教団や三育をガンガン批判している最中に、彼からユダヤ
教研究の本を贈呈でもらいました。今でもそれは大切にしております。
再臨が来て、ひょっとしたら会うかもしれないと思います。
 

長窪が死んだというので

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月21日(水)23時22分9秒
  今頃ギボンの所は忘年会お祭り状態ではないだろうか。

 

訃報 長窪専三

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月21日(水)22時54分21秒
  長窪専三  11月12日死去。死因不明
享年不明。ご存知の方は教えてください。
長窪と祇文の確執は蓋棺録として執筆して残します。
お楽しみに!
 

日本で誰も聞いたことのないSDAメッセージ

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月21日(水)20時08分30秒
  Advent Review and Sabbath Herald,  May 8, 1888
(Vol. 65, #19)


"Some Shall Depart From the Faith"


    When the Redeemer of the world walked among men, many who identified themselves with him as his disciples, afterward forsook him, and became his bitterest enemies. The Saviour tested their faith, and developed the real characters of the most ardent believers by applying spiritual truths to their hearts. At one time when the multitude were gathered about him, he uttered a truth revealing the requirements for his service, and the people were offended. Jesus said unto them, "Except ye eat the flesh of the Son of man, and drink his blood, ye have no life in you. . . . Many therefore of his disciples when they had heard this, said, This is a hard saying; who can hear it? When Jesus knew in himself that his disciples murmured at it, he said unto them, Doth this offend you? What and if ye shall see the Son of man ascend up where he was before? It is the Spirit that quickeneth; the flesh profiteth nothing: the words that I speak unto you, they are spirit, and they are life. But there are some of you that believe not. For Jesus knew from the beginning who they were that believed not, and who should betray him. And he said, Therefore said I unto you, that no man can come unto me, except it were given unto him of my Father. From that time many of his disciples went back, and walked no more with him."

    The Saviour knew the character of those who claimed to be his followers, and his words tested the quality of their faith. He spoke a sacred, eternal truth, regarding the relation that must exist between himself and his followers. Their spiritual life must be sustained by assimilating the principles of the truth. They must accept, believe, and act upon the words he uttered, which were spirit and life; and by this means they would become partakers of the divine nature. They must be Christlike, meek and lowly of heart, self-denying, self-sacrificing; they must walk in the narrow path trodden by the Man of Calvary, if they would share in the gift of life, and the glory of heaven. But the test was too great. They walked no more with him. They could not hear the saying, nor comprehend the nature of the truth he taught.
    As they turned away from the divine Teacher, a different spirit took control of their minds. They could see nothing attractive in Him whom they had once found so interesting. They sought out his enemies, for they were in harmony with their spirit and work. They carried all kinds of false reports, misinterpreted his words, falsified his statements, and impugned his motives, thus inflaming the passions of men, and confirming them in hatred and unbelief. They sustained their course by gathering up every item that could be turned against him; and such indignation was stirred up by these apostates that his life was in danger, and he could not walk in Jewry, but went into Galilee. Even his relatives were so influenced that they partook of this bitter spirit of prejudice and unbelief, and thought that he could not be the Messiah. They were dissatisfied with his manner of working, and urged that if he were the Saviour of the people, he should make himself known by asserting his power, and sustaining his claims. "For," says the inspired word, "neither did his brethren believe in him." The unbelief of his kindred was most cutting to the heart of Jesus.
    What a position was this for the Son of God, the Majesty of heaven! "He came unto his own, and his own received him not." Even his brethren did not believe on him. But did this prove his mission a failure? Did it destroy his truth and make him a false teacher, an impostor? Jesus answered his unbelieving brethren as they urged him to prove his Messiahship before the world, "My time is not yet come: but your time is always ready. The world cannot hate you; but me it hateth, because I testify of it, that the works thereof are evil." "And there was much murmuring among the people concerning him: for some said, He is a good man: others said, Nay; but he deceiveth the people."
    There was a division among the people concerning the world's Redeemer. Like seeks like. Like appreciates like, and those who loved truth gave their verdict of the righteousness of Jesus; but wherever evil exists, it leagues with evil for the destruction of the good. Fallen men and fallen angels, by likeness of purpose and principle, will join in a desperate and determined companionship to resist truth and righteousness. When Satan can induce men, as he induced angels, to unite with him in rebellion, he has them as his allies and associates in every enterprise formed for the seduction of souls from the principles of truth. Whatever disunion there may be among themselves on other matters, the wicked are one in their opposition and hatred of the truth.
    The word of God declares that the followers of Christ will be called upon to endure trials for the sake of truth. Says Paul, "Yea, and all that will live godly in Christ Jesus shall suffer persecution; for "evil men and seducers shall wax worse and worse, deceiving, and being deceived." Said our Lord, "These things have I spoken unto you, that ye should not be offended. They shall put you out of the synagogues: yea, the time cometh, that whosoever killeth you will think that he doeth God service." With what zeal will the workers of iniquity pursue their Satanic purpose! They will put light for darkness, and darkness for light, until they will sincerely believe they are servants of God, and doing him service by persecuting his children. It has been so in the conflicts of the past; and in the closing work of God the same spirit will be manifested. Says the prophet, "The dragon was wroth with the woman, and went to make war with the remnant of her seed, which keep the commandments of God, and have the testimony of Jesus Christ." Jesus was treated as the worst of malefactors, and the servant is not greater than his Lord. Said the Saviour, "These things will they do unto you, because they have not known the Father, nor me. But these things have I told you, that when the time shall come, ye may remember that I told you of them."
    In these last days, when iniquity shall abound, and the love of many shall wax cold, God will have a people to glorify his name, and stand as reprovers of unrighteousness. They are to be a "peculiar people," who will be true to the law of God, when the world shall seek to make void its precepts; and when the converting power of God works through his servants, the hosts of darkness will array themselves in bitter and determined opposition. Satan will work with "all power and signs and lying wonders, and with all deceivableness of unrighteousness." He will employ every device of deception to seduce the souls of men and if "it were possible," he "shall deceive the very elect."
    We must put on the whole armor of God that we may be able to stand. There will be a constant conflict from the time of our determination to serve the God of heaven, until we are delivered out of this present evil world. There is no release from this war. The work of God for this time cannot be accomplished without arousing opposition, reproach, and calumny. Satan is at enmity with the truth, and he will instigate against its advocates every manner of warfare. His efforts to overthrow the word of God will not be wholly confined to the ranks of its avowed enemies; but among those who claim to believe and practice it, "some shall depart from the faith." The impression given by those who have turned away from the doctrines of the Bible, is that the work committed to men for this day will come to a speedy end, and thus they make it manifest that they have esteemed themselves as the very pillars of the truth. "Nevertheless, the foundation of God standeth sure, having this seal, The Lord knoweth them that are his;" and the work goes on to accomplish the fulfillment of the sure word of prophecy. The infinite God is the originator and sustainer of his work and his people. The cause of Christ does not stand in the wisdom of man, and it cannot be overthrown by his power. "The Lord knoweth them that are his." He can discern the steadfast souls who stand by faith, who will not be moved from their allegiance to him and his law. He reads the hearts of his children, and knows those, also, that believe not.
    Our work is an aggressive one, and as faithful soldiers of Jesus, we must bear the bloodstained banner into the very strongholds of the enemy. "We wrestle not against flesh and blood, but against principalities, against powers, against the rulers of the darkness of this world, against spiritual wickedness in high places." If we will consent to lay down our arms, to lower the bloodstained banner, to become the captives and servants of Satan, we may be released from the conflict and the suffering. But this peace will be gained only at the loss of Christ and heaven. We cannot accept peace on such conditions. Let it be war, war, to the end of earth's history, rather than peace through apostasy and sin.
    The work of apostasy begins in some secret rebellion of the heart against the requirements of God's law. Unholy desires, unlawful ambitions, are cherished and indulged, and unbelief and darkness separate the soul from God. If we do not overcome these evils, they will overcome us. Men who have long been advancing in the path of truth, will be tested with trial and temptation. Those who listen to the suggestions of Satan, and swerve from their integrity, begin the downward path, and some masterful temptation hastens them on in the way of apostasy, till their descent is marked and rapid. Sins that were once most repugnant, become attractive, and are welcomed and practiced by those who have cast off the fear of God and their allegiance to his law. But the most pleasurable beginning in transgression, will end in misery, degradation, and ruin.
    We need to be constantly on our guard, to watch and pray lest we enter into temptation. The indulgence of spiritual pride, of unholy desires, of evil thoughts, of anything that separates us from an intimate and sacred association with Jesus, imperils our souls. We must have living faith in God. We must "fight the good fight of faith," if we would "lay hold on eternal life." We are "kept by the power of God through faith unto salvation." If the thought of apostasy is grievous to you, and you do not desire to become the enemies of the truth, the accusers of the brethren, then "abhor that which is evil; cleave to that which is good;" and believe in Him who is "able to keep you from falling, and to present you faultless before the presence of his glory with exceeding joy. By Mrs. E. G. White.

日本語訳は後程追加
 

愚劣な言葉を斬る

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月19日(月)20時33分7秒
  さて石松長老様などから大好評人気爆発中の白石画像の文面ですが
これは当職の作文ではないと申し上げた通り。ご本人のご発言でご
ざいます。公人の発言ですから公開されてよいのです。
これらの言葉がいつ一体どういう状況で語られたのかは実は一つ一
つ皆さんの前で申し開きの説明を申し上げなければいけない所です。

誠実で謙遜な嵯峨野教会牧師はそれを致したいと思っております。

まず、最初に、一番注目されたのは「コンドームを使えば姦淫ではない」
と言ったというのはいったいいつどういう状況だったのかを簡単に
説明しますと、

 これは教団内部の一幹部が不祥事を起こしたときに、その人を
 庇うためにとっさの思い付きで言った言葉であると伝えられて
 おります。



つづく
 

なぜ長谷川寿紀牧師は教団・病院を堂々と批判surunoka

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月19日(月)20時23分49秒
編集済
  それは私が教団の誰よりも第七日安息日をまもりそれによって神を証してきた
ことです。神の恵みのみにより培われてきたからです。だから神の戒めに従わ
ない教団、不衛生尻の穴病院を批判することができるのです。私は神の戒めに
従わない不衛生病院に戻って働きを共にしてはいけないと言われました。そし
て私が戦わなくても神が戦って日本の医療伝道を間もなく回復してくださる
約束を得ています。

私が挙げられるのは自分からそうしているのではなく、神の名が挙げられるた
めです。SDAが聖書に預言された最後の残りの民の教会であることを語り伝
えることは自己称揚でも顕示でもなく、神に召された者のなすべき謙遜な働き
です。そのためには教会の中で汚れた者たちとの戦いも必要です。そういう者
に勝利する確信をもって今一度みなさんも、聖書と証の書、ダニエル書黙示録
に預言された我々の進む道に思いをはせていただきたいのです。それが福音理
解の最後の中核となることもお悟り下さい。
 

夢を見た

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月18日(日)18時52分46秒
  私の妻が教団総会の礼拝メッセージのために立てられた。
 

天使の長はキリストであるか

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月18日(日)04時18分29秒
  当たり前ですね。まだそんな初歩的なことで堂々巡りしているんですか。
そんなことは今まで教会で発行していたライフや聖書研究読本を見れば
明らかではありませんか。もういちど聖書研究で復習致しますか?

 

堂々と正面攻撃とゆこう

 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日:2018年11月18日(日)04時15分13秒
  文面はパク石が実際に言ったとされる言葉であり当職の作文はありません。
逃げるな白石。SDA教会の正義の決着をつけるために嵯峨野教会理事会に上
って来て戦いにいらっしゃい。ここはそのために開かれた特殊教会理事会です。

                   SDA嵯峨野教会戦闘牧師拝

 
    (嵯峨野教会牧師) Self-styleの長老と化した元理事長が何か言ってます。w
SDAの恥、パク石、ギボン、エサウ。正義の剣を受けよ。
 

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